key word パワハラ うつ病 職場調整 SST 柔道療法
20歳代男性
大学卒業後事務系職員。職場結婚し、1子あり。4月に配置換えになったが、上司のやり方に馴染めずストレスを感じるようになる。数ヶ月後、上司のやり方についていけない気持ちが更に強くなり、次第に上司の顔を見るのが怖くなって来た。眠りが浅くなり夜中に何回も目が覚める、朝になるのが嫌と感じる、出来るなら仕事を休みたいと思うようになった。極度にふさぎ込んだ様子にうつ病ではないかと家族が心配し、母親同伴で受診にいたる。
初診時診察状況
打ちひしがれた感じ。
仕事の能率が落ち、上司の指示についていけない自分に自己嫌悪を感じており、問診に対し「自分を責めてしまう」「消えてしまいたい」「自分が悪いと感じている」「死にたいとは思わない」など返答される。
胃部の圧迫感もある。
診断・治療・対策
パワーハラスメント(パワハラ)により発症したうつ病と診断し、十分な休養と職場調整やリハビリが必要と判断した。薬物療法だけでは改善は困難と思われ入院を勧めたところ了解され入院予約(空床待ち)となった。
処方は
セレナール(10)2T /1日2回 朝・夕
スルピリド(100)1T レンドルミン(0.25)1T /就寝前 とした。
治療経過
10日後妻同伴で来院され入院。
大分気分は良い。グッスリ眠れるようになった。
胃の圧迫感がなくなった。
妻からはパワハラが行われている職場状況と本人の気持ちを詳しく聴取した。
以後薬物は変更せず、リハビリテーションとしてSSTと柔道療法を導入し、33日間の入院で軽快退院に至った。
症状改善にもっとも寄与した要因としてSST、柔道療法、職場調整があると思えるので
それらについて記述する。
SST・柔道療法の経過を記す。
SST(⇒参照7)
SSTは入院中4回、退院後2回の計6回行った。
1回目:見学。次回はやってみたいと話す。またSSTに関する参考書を見せて欲しいと希望があり、数冊の参考書を貸与した。
2回目:苦手な上司との会話場面のロールプレイに挑戦。自らは上司役となり(SSTの技法の一つでロールリバーサルと言う)、相手役のA医師に『強い上司』への対応を見せて欲しいと希望される。
3回目:B医師を相手に、苦手な上司との付き合い方について自分の考えを述べる。
「上司の事を持ち上げて対応するのも一つの手かもしれない」「少しずつ仕事の事を考えられるようになっただけでも、回復していると思う」と話す。
4回目:スタッフ相手に退院後の不安について話す。今は看護師など理解者がいるので安心だが、退院後はそれがなくなり不安と言われる。「妻という最大の理解者が身近にいる」と返しておいた。
5回目:復職後上司への挨拶を著者相手に行う。相手の会話に合わせ過ぎ、相手のペースに引き込まれる傾向があるため、上手く切り上げるようにアドバイスした。
6回目:スタッフ相手に、前回のSSTを踏まえ、復職後の挨拶を手短に切り上げる練習を行う。
柔道療法(⇒参照8)
毎週2回30~40分程度行った。柔道未経験者で小柄ではあるが、運動能力にすぐれ、終盤には未経験者同士では鮮やかに1本を取れるように上達された。
本人の柔道療法についての感想を記す。
1)入院したての頃は全てがマイナス、否定的で、筋道立った考えが出来なかった。柔道療法を始めて、これらが改善し、入院前の状態に戻った。
2)自分の気持ちの入れ方、対応の仕方が身についた。自分にも「何クソ」という気持ちが取り戻せて非常に有効だった。
3)相手の力のいなし方が柔道を通じて学べた(コミュニケーション力のアップ)。嫌なことを少し割り切れるようになった。
4)最初は柔道と治療が結びつかず恐かった。しかし、何度も参加することで自分らしさを取り戻せた。
5)非常にオリジナリテイのある療法で、既存のものとは一線を画している。気持ちを前向きにする効果は高いと思う。
職場調整
最初は職場のメンタルヘルス関係者と連携を取る事、職場のパワハラ・セクハラ委員に訴える事や診断書に「パワハラによるうつ」と記載して提出し環境調整を組織に委ねる事などを考えた。しかし上司に対する怯えが極めて強く、これらの手段では職場復帰は不可能と思われ、人事関係者に面会に来て貰い主治医面談を行った。主治医としてはパワハラによるうつは労災であり、配置転換以外に本人を救う道はない事を説明した。
これらのリハビリや職場調整により症状は軽快し、職場復帰訓練を経て退院1ヶ月半後には配転された別の課に完全復職に至った。
診療のポイント
本症例は極めて真面目な方であり、SSTや柔道療法に熱心に取り組むことで、所謂『体』で上司との付き合い方の一端を学習された。しかし、こうしたケースの場合、職場調整が最重要であり、職場関係者の協力無しでは職場復帰は困難である。過去には職場調整が受け入れられず、残念ながら退職に追い込まれたケースも経験している。職場調整も精神科医の重要な役目の一つであろう。
他人事と思えないのでコメントさせていただきます。
閉ざされた職場の中で上司からパワハラされていても周囲は見て見ぬふりをするこ
とが多く、甚だしくはそれに迎合する者まで現れて、深刻化するケースもあります。
一度そういったレッテルを貼られますと当事者が居ないところで誹謗中傷が始まり
事はさらにエスカレートしていくのです。
そのような場合、最終的にはやはり配置転換以外に解決策はないように思いました。
非常に興味を持って拝見しました、他の症例とは異なり本人の仕事環境が与える影響が非常に参考になりました。精神科受診が増加している昨今ではありますがその治療内容については目にすることはありません。そのような中でここまで深い事例を公開されているケースは稀です。
主治医の行う柔道療法を行うことをによる効果も非常に興味深く拝見しました。
本症例は現在の仕事環境を如実に反映していることもあり、考えさせられる事例でありました。
印象として、職場内での声では全く反映されていないのでしょう。今回のケースでは医師が介入し始めて職場が事の重大さに気づいているという印象を受けました。同じ職場の人間が同僚の声を本気にしていないということも大いに問題であると思います。